Exhibitions

kanzan Curatorial Exchange 「Spacing」vol.1
Hello, darkness この身体のいるべき場所はどこ|一之瀬ちひろ
2025.4.12 Sat - 5.25 Sun
キュレーター:小池浩央
EVENT_vol.1|4月13日[日]12 - 16時(予約不要・参加無料)
「Endless Box」(塩見允枝子)演奏:角銅真実
*上記時間内、時間を区切らずに自由にイベントがおこなわれます
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EVENT_vol.2|5月17日[土]13:00/15:00/17:00
「存在の味わい方」
振付・出演| 酒井幸菜 (13:00, 17:00)
出演|中村未来 (15:00, 17:00)
*各回15分程度のパフォーマンスを予定
*17:00のパフォーマンス後にアフタートークあり
一之瀬ちひろはこれまで、日々の生活の中で、あるいは普段とは違う場所に行くことで生まれる感情を、ストレートな写真だけでなく、コラージュや暗室で色光に露光された印画紙、壁にテープ留めされた写真を撮影したものなどを、その拡がりのままに取り扱ってきました。自分だけではなく自身を取り巻く他者の日常がどのように保たれているのかを探り、そうした私たちの生がときに大きな歴史へと収束されていってしまうことへのささやかな抵抗を、普段は意識に上ってこない捉えがたいものを知覚できる媒体として写真を使い、表明してきました。そしてそういった態度はそもそも、写真とは何かと考えるときにただ一つの答えに行き着くようなものに由来するのではなく、ある答えが見つかりそうになった瞬間にそれが横滑りし、別の疑問が湧いてくるような事態に基づいています。
ケネディ暗殺の3ヶ月後に発表された、「Hello, darkness, my old friend」と始まるサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」は、光と闇のイメージを使って、無知と無関心が単純なレベルでのコミュニケーション能力さえも破壊してしまうこと、また真実と啓蒙を象徴するはずの光は、刺す、点滅させる、さらには偽のネオン神を崇拝する、といったメタファーによって、破壊的で苦痛に満ちた力となることを表しています。「Hello, darkness」の後に半角スペースを空けて続けられる「この身体のいるべき場所はどこ」という本展のタイトルは、福島で撮られた写真を東京のギャラリーで見るとき、私たちはいったいどこにいて何を見ているのか?いま私たちが置かれている状況、そしてこれから向かう先には何があるのか?そしてもしそこにあるのが仮に闇だったとしても、それは必ずしもネガティブなものではなく、旧友に偶然出会ったときのような気安さで挨拶を交わし、新たな関係を築くこともできるのではないか?などということを考えさせてくれます。
表象文化論の研究者でもある一之瀬は、しかし、この展示が何らかの考えや教義を押しつけるものであってはならないと考えています。彼女がこれまでずっと大切にしてきた私たちの日常生活や個人的な経験は、保護しなければば容易く失われてしまうものであり、どこまでもデモクラティックであるべきものなのです。シンボルスカの詩、思想家たちの声、そして研究対象であるジョナス・メカスなどについての知見は作品の中に見え隠れしていますが、それは写真を見る際には括弧に入れられ宙吊りにされ、写真自体を見るという経験そのものと、その経験についての思考の場を提供しようとしています。
りんごの写真を見るとき、詩が書かれた紙の写真を見るとき、開かれた本のページの写真を見るとき、いまだ深刻な被害を残す帰還困難区域の写真を見るとき、あるいは一枚の紙が何かを形作る様を見るとき、私たちはいったい何を見ているのでしょうか?サイズの大小、額のあるなし、テープ貼り、クリップ、壁に掛けられたもの、テーブルに置かれたもの、一枚の紙、束ねられた紙は、仮に同じものを写していたとしても本当に同じものであると言えるのでしょうか?今回展示されたイメージを単にモニター上で見たとすると、この空間において見るという経験との違いはどのようなものになるのでしょうか?括弧に入れて、括弧から出し、また括弧に入れて、そもそも括弧とは一体何なのかと思い悩む。
一之瀬は、写真とは何だろうと考えれば考えるほどそこから離れていく感じがあると語ります。見ることには複数のモードがあり、どこまで行ってもその結論は出ません。写真の意味は固定されることはなく、見る人ごとの記憶と経験によって、また、それぞれの写真と写真との関係において変わってくるのです。繋がっているようで繋がっていない、ある間隔をもって配置された複数の作品は、一つの大きな問題意識のもとで一つの展示空間として構成されながらも、その中には小さなテーマがいくつも含まれています。この展覧会は、鑑賞者が複数のテーマの重なり合いや響き合い、またそれらの余白を見つめ、余韻に耳をすますことができる、そしてその上で、そもそも写真を見るとは、写真を展示するとは、といったことについての終わりのない思考を巡らす、そのような場所を目指して作られています。
本展キュレーター 小池浩央
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1 Kingston, Victoria, Simon & Garfunkel : The Biography, Fromm International, 1998, p. 22.
Profile
一之瀬ちひろ いちのせ・ちひろ
写真家。1975年東京生まれ。ICU卒業。イメージと経験の関係に深い関心を持ち、写真、言葉、空間、論考などを用いて自由な制作と研究をおこなう。2014年「KITSILANO」でJAPAN PHOTO AWARD受賞。2011-2016年ブックレーベル「PRELIBRI」主宰。主な展覧会に2012年個展「KITSILANO」(ニコンサロン銀座)、2015年グループ展「LUMIX MEETS BEYOND 2020 BY JAPANESE PHOTOGRAPHERS #3(Yellowkoner Paris Ponpidou、IMA gallery)、2016年個展「STILL LIFE」(ニコンサロン新宿、森岡書店)、個展「光のトレイス」(KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭)、2019年グループ展「みえるもののむこう」(神奈川県立近代美術館葉山)、個展「きみのせかいをつつむひかり(あるいは国家)について」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)など。写真集に『STILL LIFE』(PRELIBRI, 2015)、『きみのせかいをつつむひかり(あるいは国家)について』(Freaks, 2019)など。パブリックコレクション:神奈川県立近代美術館。現在、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論)博士課程在籍。
小池浩央 こいけ・ひろひさ
武蔵野美術大学大学院映像研究科修了後、フランス・ナント美術大学にてアーティスト・リサーチャー、エストニア芸術大学にて講師。現在はエストニア・タリン大学大学院博士課程在籍中。専門は写真論・フランス現代思想。研究テーマは、ジャック・デリダの概念的遺産に基づく写真における遅延・喪・贈与についての考察。主な論文に「Lein ja fotograafia: Jacques Derrida fototeooria」(Etüüde nüüdiskultuurist; 9, 2021)、「The noeme of photography: the paradigmatic shift in the photographic theory of Roland Barthes」(Kunstiteaduslikke Uurimusi / Studies on art and architecture, 28 (3-4), 7-26., 2019)。