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Exhibitions

#on view / kanzan gallery

奇跡の森 EXPO ‘70|畑 祥雄

2025.2.5 Wed - 2.28 Fri

協力:The Third Gallery Aya、NPO法人 地球の緑を育てる会

GALLERY TALK|2月15日[土]14:30-16:30 (予約不要/入場無料)
「森創りは夢の苗床」
ゲスト:矢内 廣(ぴあ株式会社代表取締役社長)× 畑 祥雄(写真家・映像プロデューサー)

「奇跡の森EXPO‘70」写真集と展覧会

70年万博のパビリオン跡地が55年かけて美しい森に回復し生物多様性で人が憩える森になりました。 米国の写真家リチャード・ミズラックの「Dead Animals」は美術館を活用した証拠写真仕立ての作品です。今回の僕の作品も美術館仕様の美しく保存性にも優れた印画紙を使った作品と、50年後の「万博の森」をAIで予測した映像作品による展覧会です。「万博の森」が完成する100年目にあたる2070年に比較される起点として『奇跡の森EXPO‘70』を創りました。

私が薫陶を受けた元国立民族学博物館の梅棹忠夫館長の「森創りは夢の苗床」の思想により、当初はビジネスセンターになる構想でしたが急速な都市化による環境問題への世論の高まりなどを受け、わずか3ヶ月で政策が変わり「緑に包まれた文化公園」になり「奇跡の森」と呼ばれています。

国連のSDGsは2015年の宣言ですが、その45年も前から人工の森創りが始まりました。「万博の森」の大きさはセントラルパークと同規模で市民の憩いを大切にした日本の都市公園の先駆けです。設計は日本を代表する造園家の吉村元男氏で、外周の密生林と中心の芝生広場には標高差15mをつけ、高速道路の騒音や排気ガスを防ぎ美しい自然と生物多様性と人々が憩う人工の森を初めて創られました。この「万博の森」は日本の財産を超え100周年目には地球の財産の「世界遺産」をめざしています。

これ程のレガシーが今の日本の多くの人々に知られていないことに驚き、4年かけて撮影を続けています。 ネイチャーポジティブ「森を守り自然の回復をめざす」ことは、世界共通の大きな目標ですが、長い年月をかけ自然の生命力と人間が介在する持続した日々の手入れがとても大切だと実感しています。 今年は再び「大阪・関西万博」が開かれますが、「大きな忘れ物」を未来への糧にできればと思い写真集にまとめました。展覧会では芸術系だけに限らず自然や環境系の人々、NPOやNGOの団体、さらにSDGsの理念を経済活動の柱にしている企業などを勇気づけられればと願います。

この「万博の森」が100年を迎える2070年、豊かな森になっているのか、今よりも痩せ衰えているのか、21世紀を生きる「日本人の肖像になる」と考えています。
畑 祥雄(写真家)

#on view / kanzan galleryは、写真集の発行記念展や巡回展、または展示の実験の場として、写真・映像作家が主導する展示企画をサポートするプログラムです。当展は、第13回目となります 。

Profile
畑祥雄 はたよしお
1950 京都市生まれ
1973 同志社大学法学部卒業
1979 『カメラ毎日』で「〈風声〉—恐山-」を発表
1984 ユージン・スミス/アイリーン・スミス《水俣》作品キュレーション(大阪人権博物館)
1986 「山沢栄子作品」展ディレクション(有楽町朝日ギャラリー;東京、ABCギャラリー;大阪)
1987 「アメリカの現代写真」展ディレクション(大阪府立文化情報センター)
「花博写真美術館」を企画プロデュース(国際花と緑の博覧会)
1990 『東松照明/さくら・桜・サクラ』出版と展覧会をプロデュース(ブレーンセンター、Loftフォーラム梅田)
1991 花博写真美術館の写真コレクション「EARTHSCAPE」を大阪府に寄贈
1992 写真集・現代美術カタログを公開する「写真図書館」を開館
1993 成安造形大学造形学部デザイン科写真クラス 助教授に着任(2000年教授)
1996 インターメディウム研究所・IMI「大学院」講座の設立、ゼネラルマネージャー着任
2002 関西学院大学総合政策学部メディア情報学科 教授に着任
2008 「サイエンス映像学会」設立、常務理事・事務局長に着任
2012 東日本大震災を受けて、メディアミックスの「防災電子図鑑」をプロデュース
2018 一般社団法人 大阪国際メディア図書館 館長に着任
「写真表現大学・Eスクール」(映像/音楽)講座総合ディレクターに着任
2021 《奇跡の森 EXPO’70》50年に際しライフワークの写真撮影を開始
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