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Exhibitions

kanzan Curatorial Exchange 「生き延び」vol.3

緑の日々|上原沙也加

2024.11.9 Sat - 12.15 Sun

キュレーター:小池浩央

GALLERY TALK|12月7日[土]14:00- 入退場自由/無料
上原沙也加(写真家)× 小池浩央(本展キュレーター)

kanzan galleryではこのたび、外部に開かれた生としての生き延びについて考える展覧会シリーズ、kanzan Curatorial Exchange「生き延び」 Vol.3 として、上原沙也加の個展「緑の日々」を開催いたします。

台湾を撮影した新作のカラー写真で構成される本展覧会は、「VOCA展2024」で発表され奨励賞ならびに大原美術館賞を受賞した「幽霊たちの庭」とMISA SHIN GALLERY(東京)で公開された「花売りのおばあさん」を含むモノクロームのシリーズ「緑の部屋」と蝶番の関係にあります。双方のタイトルにある「緑」とは、台湾で長年歌い継がれている歌や、深い山の風景に由来しているそうです。モノクロームの「緑の部屋」では特定の場所とそれにまつわる来歴を扱ってきましたが、カラーの「緑の日々」はそれに限らずより広がりを持ったシリーズとなっています。
1993年生まれの上原沙也加にとって、沖縄とは日々の暮らしを営む場所であると同時に、生まれる前から何度も破壊され、その上で何度も復元されてきた風景のことでもあります。辿った歴史に違いはあれども、隣島である台湾に似たような痕跡と傷を見た上原はそれをカメラに収めていきます。
いずれ訪れる忘却や破壊の可能性に抗って上原は記録していきます。そうして残された痕跡は絶えず新たに解釈され続け、その意味は変化し続けます。それゆえ上原の写真には終わりがなく、彼女自身の生を超えて生き延びるのです。

kanzan gallery

上原沙也加写真展「緑の日々」に寄せて

2004年に亡くなったフランスの哲学者ジャック・デリダは、生前最後に行われたインタビューにおいて「生とは生き延びである」 1と述べた。デリダの思想において「生き延び」という言葉が指し示すのは、ただ単に「この私」の体が長らく生き残ることでも、また「この私」が作りだしたものがそのまま無傷で残るということでもない。「私」とはそもそも私自身のものではない何ものかによって汚染=混淆され続けるものであり、作品も同様にそれぞれの時代において解釈され続けるなかで、誤解され、歪曲されることを通じて永らえる。
今回、外部に開かれた生としての生き延びについて考える展覧会シリーズの第3弾として展示される、台湾で撮影された上原沙也加のカラーのシリーズ「緑の日々」は、本年の「VOCA展2024」で発表され奨励賞ならびに大原美術館賞を受賞した「幽霊たちの庭」とMISASHIN GALLERY (東京)で初めて公開された「花売りのおばあさん」を含むモノクロームのシリーズ「緑の部屋」と蝶番の関係にある。
双方のタイトルにある「緑」とは、台湾で長年歌い継がれている歌や、深い山の風景に由来しているそうである。モノクロームの「緑の部屋」では特定の場所とそれにまつわる来歴を扱ってきたが、カラーの「緑の日々」はそれに限らずより広がりを持ったシリーズとなっている。
上原はこれまで、日々の暮らしを営む場所でありつつ、生まれる前から何度も破壊され、その上で何度も復元されてきた風景としての沖
縄を見つめてきた。辿った歴史に違いはあれども、似たような痕跡と疵を隣島に見た上原はそれをカメラに収めていく。
日本においては1930年代から70年代が最盛期とされるスナップショットは、写真家が意図しないものを多く含んでいる。そのような写真においては、写真家は過去の記憶と痕跡の上に立つ「今、ここ」を未来の自分をも含んだ「他者」と共有することを期待して撮影する。ここで言う「他者」とはすでに死んでいる、現在生きている、そしてこれから産まれてくるすべての人々のことである。もし、現在の自分の感覚だけを優先するならば、写真など撮らずただその光景を見ていればよい。撮影者が意図しない偶発的なものを含んだ写真は、受動的かつ開かれた態度によってはじめて可能になるものであり、写真で記録することにより、自分が置かれた現在の状況についての感覚や思考、そして記憶の限界を超え、かつて生きた他者の痕跡を後からやって来る者たちが解釈する余地を与えてくれる。この可能性において、写真を撮ることの意味がある。
撮影できたのはあくまでごく一部の場所、一時の時間でしかなく、上原の記憶も有限である。それでも、いずれ訪れる忘却や破壊の可能性に抗って彼女は記録してゆく。痕跡は絶えず解釈され続け、その意味は変化し続ける。それゆえ上原の写真には終わりがなく、彼女自身の生を超えて、生き延びる。

小池浩央(当展キュレーター、写真家・写真研究者)

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1 ジャック・デリダ『生きることを学ぶ、終に』鵜飼哲訳、みすず書房、 2005年、 24頁。

kanzan Curatorial Exchange「生き延び」
外部に開かれた生としての生き延びについて考える展覧会シリーズ。
キュレーター:小池浩央

Profile
上原沙也加うえはら・さやか

1993年沖縄県生まれ。写真家。東京造形大学卒業。主な受賞に、第36回写真の町東川賞新人作家賞(2020)、「VOCA展 2024 現代美術の展望─新しい平面の作家たち」VOCA奨励賞、大原美術館賞(2024)、出版物に『眠る木』(赤々舎、2022)がある。風景のなかに立ち現れる記憶や傷跡、場所や物が保持している時間の層を捉える実践として、写真作品を制作している。

小池浩央こいけ・ひろひさ

武蔵野美術大学大学院映像研究科修了後、フランス・ナント美術大学にてアーティスト・リサーチャー、エストニア芸術大学にて講師。現在はエストニア・タリン大学大学院博士課程在籍中。専門は写真論・フランス現代思想。研究テーマは、ジャック・デリダの概念的遺産に基づく写真における遅延・喪・贈与についての考察。主な論文に「Lein ja fotograafia: Jacques Derrida fototeooria」(Etüüde nüüdiskultuurist; 9, 2021)、「The noeme of photography: the paradigmatic shift in the photographic theory of Roland Barthes」(Kunstiteaduslikke Uurimusi / Studies on art and architecture, 28 (3-4), 7-26., 2019)。

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