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Exhibitions

kanzan gallery 特別展示

在るもの|長船恒利 Osafune Tsunetoshi

2023.12.23 Sat - 2024.1.28 Sun

キュレーター/Curator : 菊田樹子 Mikiko Kikuta
協力:白井嘉尚、長舩知行

GALLERY TALKS vol.1
1月20日[土]15:00- 予約不要/入場無料
白井嘉尚(美術家)× 菊田樹子(当展キュレーター)
Sat, Jan. 20th, 3PM - @kanzangallery (no reservation required / Admission Free)
Yoshihisa Shirai (Artist) in conversation with Mikiko Kikuta (Curator)

GALLERY TALKS vol.2
1月21日[日]16:00- 入場無料/予約推奨(着席数に限りがあります)
金村修(写真家)× 菊田樹子(当展キュレーター)
Sun, Jan. 21st, 4PM - @kanzangallery (reservation required / Admission Free)
Osamu Kanemura (Photographer) in conversation with Mikiko Kikuta (Curator)

長船恒利(1943年-2009年)は北海道小樽市に生まれ、小学生の頃から写真に親しみ、大学で電気工学を学んだ後に静岡で教員となります。20代半ばで病を得ながらも、最後の手術を終えた1974年に本格的に作品制作を開始し、静岡県藤枝市を拠点に活動の幅を広げていきます。同年、藤枝市の地下道の壁面にゲリラ的に写真を展示したことを皮切りに、その後「写真集団GIG」のメンバーとなり、新宿のギャラリー「PUT」、弘前や那覇での個展や「つくば写真美術館’85」への参加など精力的に活動を続けました。

当展では、1970-80年代に撮影されたシリーズ『在るもの』から、1991年に刊行した同名の写真集(発行:FROG)に掲載された全23点を展示します。

「在るもの」という多様なとらえ方ができる題名を付されたこの作品は、人間が見ることによって風景やものが「在る(存在する)」のではなく、人間が見なくてもそこに「在る」のだという事実を淡々と突きつけます。また、撮影者の自我や情緒、物語性、さらにはフレームで切り取られる空間の特権性や、写真は真実・現実を写すという信仰への鋭い批評的姿勢を持ちながら、長船の作品は「対象物がなければ写らない事」、「視覚の二相性(写す、プリントを見る)で知覚される事」という写真固有の可能性を示すとともに、写真家の役割についても多くの示唆を与えてくれます。

キュレーター:菊田樹子

背景を超えて
長船恒利

「在るもの」と題された作品群が、制作され発表していったのは、1977年から1979年までの3年間であった。それは私にとって比較的初期に属する写真的活動であるが、10数年を経た今となっても、伏流として体内にあり続けるように思う。写真作品というプロセスのまわりをめぐる、私的な軌跡への添付として、いくつかの背景を記してみよう。

「在るもの」は東京PUTにおける個展をはじめ、いくつかの企画展(今日の写真・展’77や視覚の現在)の場をとおして、つごう16回発表されてきた。

東京・静岡・弘前・姫路・那覇という地域を巡っていったのは、写真ネットワークへ向う関心ということもあろうが、特定の基準点を持ちたくなかった気持ちの表われとも言える。

再発と手術をくり返した20代を過ぎて、絶対値の前に世界はすべて無化されていく。

あてもない日々は、自分を留めておく何らかの手がかりを必要とした。まわりのモノと空間に付加されてくる「意味」が、うっとうしくてならなかった。

あるいは茫漠としてひろがる「無」を直視せざるを得なかったとも言える。大きなプリントを作りたかった。モノはただそこに在るだけで、「無」さえもただ存在するという、ただそれだけである。

都市およびその周辺を素材としていたのは、生活空間がそのような環境であったからに他ならない。

それは何処でもよかった。全体を欠いた部分とその断片の提示は、解釈する眼の優位性を放棄する作業のように思えた。よって写真という現実における、知覚の方法論についてのプラクティスとしてもあったと思う。4x5を使い出したのは中頃からであるが、肉眼と写真の眼の違いを思い知らされることとなる。

1980年代以降は、表現にかかわる活動が、写真だけでは収まりがつかなくなるのであるが、写真作品発表はほとんど静岡で行っている。それは構成的なものとスナップとランドスケープとに分けられる。

いずれも「在るもの」の知覚を引きついでいるのは、ある取り返しのつかない刻印を受けたからなのかもしれない。

『在るもの』(1991年/FROG刊)に寄せられたテキスト

kanzan gallery 会場にて、写真集『長船恒利の光景』を販売しております。ぜひお手にとってご覧ください。
The photo book ’SIGHTS’ OSAFUNE Tsunetoshi is available. Feel free to pick it up.

『長船恒利の光景』
’SIGHTS’ OSAFUNE Tsunetoshi
-『長船恒利 光景/歩行』
-『snap photographs』
-『Landscape- field observation』
-『seascape』
-『小樽市潮見台中学校1957年のころ』
-『traverse』
-『Performance/Computer Art/Sculpture』

Profile
長船恒利 Osafune Tsunetoshi

1943年、北海道小樽市生まれ。1964年、北海道大学工業教員養成所電気工学科卒業。静岡県の高校の教員になる。69年から74年、胃癌の手術を受ける。

74年より静岡県藤枝市を拠点とし、同年から(76年まで)藤枝市の地下道壁面を使用して写真を発表。75年、静岡の仲間と共に「集団GIG」結成に参加。77年から79年、「在るもの」シリーズを、東京、弘前、静岡、那覇などで発表した。

80年代はジャズ喫茶「JuJu」(静岡)での写真展、「つくば写真美術館’85」(茨城県)「現代日本写真展」(バルセロナなどに巡回)などに参加、また音を用いたパフォーマンス、コンピューターアートにも取り組む。

1990年、筑波大学大学院工学研究科(情報工学)内地留学。1991年より2000年まで静岡大学非常勤講師(情報教育)を務めた。2000年代は、中欧のモダニズム研究や石彫にも取り組んだ。

2009年の逝去後もその作品への関心は高く、「長船恒利 眼の眺め」(Gallery RAVEN、OGU MUG/2013年)、「沖縄行」(photographers’ gallery、KULA PHOTO GALLERY/2015年)などで展示が行われた。

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