Kanzan Curatorial Exchange 「尺度の詩学」vol.1
アーティスト、アーキビストが拓く未来を
うつす装置の可能性
- 土屋紳一「TIMELINE」インタビュー<後篇>
Kanzan galleryで展覧会に取り組んだアーティストたちとの対話から、写真や映像メディアを用いた表現活動の方法と、実践の言語化のヒントを探るインタビュー・シリーズ。
初回は、描出するメディウムとして写真の可能性をテーマに活動するアーティスト、アーキビストの土屋紳一さんに「TIMELINE」展(Kanzan Curatorial Exchange 「尺度の詩学」vol.1, 2018.9.8〜10.7)についてお話を訊きました。
「TIMELINE」展は、「平成」や「地下鉄サリン事件」をテーマにして年表を手がけ、そのリサーチ作業に呼応するように制作した新作で構成されました。本展において土屋さんが新たに取り組んだ試みとは?本展のテーマに辿りついた背景、土屋さんが考える写真の可能性とは?「尺度の詩学」シリーズ企画者でもある和田信太郎さんと共に探ります。
■マイノリティの立場から考え続けること
土屋:展示と関係ない話になりますが、小学校の頃から、僕は思考を一つに偏らせないところがありました。例えば、何か多数決をするときに、最初に僕が手を挙げたものには賛同者があまりおらず他の方が圧倒的に賛同者が多かった。そして議論することになって、少数派の代表として僕が説明したところ、クラスのみんなが納得しちゃって、少数派だったものが多数派になったということがありました。実は、僕はどっちでもよかったので、もう一度多数決をするときに、最初とは別のものを選んだりして、みんなからは何してんだ!と言われちゃって。たぶん、そのときですね。アーティストになろうって思ったのは。
この話は、あまりしたことがないんですが、そのときに、人は他者の意見によって変わることや多数決の怖さを感じたんです。その感覚がずっとありました。
だから僕にとって一番重要なのは、何が正しいかを問うよりも、少数派の立場や異なる立場から考えたり、その立場から問いを立てたりするにはどうすればできるのか、その方法を提示することが大事なんです。マイノリティとしてやっていくということ、アートってそういうことだと考えています。
ーーー 先ほどの価値観がひとつしかないことへの危険性のお話と通じるものがありますね。土屋さんは、立ち止まって考えること、無意識の暴力性みたいな事に対していかに自覚的になれるかを考えているんですね。
土屋:思い出したんですが、「流れている川に、竿を一本さすということをしなければいけないんだ」みたいなことを言ったことがあります。要するに、いろいろな情報が流れてくるときに、自分から何か基準点をつくらないと、その流れの速さも、何が流れているのかもわからなくなってしまうということですね。
みんなが時間や情報の流れに身を任せて流れて行ったら、きっと気づかないものごとが、たくさん澱のように溜まっていくんじゃないか。誰かが立ち止まって、いま目の前で起こっているものごとを考え、他の人がそれに気づくきっかけをつくらなきゃいけない。それがアーティストの役割でもあると思っています。
■写真を読み解く力
土屋:それから一時期、「カメラは未来を撮る装置だ」みたいなことも言っていました。写真には、撮影者自身が気づいていない興味関心が実は写り込んでいて、今はそれを見つけられないだけで、数年後に気づくということがあるんです。
写真の読み解き方の訓練をすることで、これからの進むべき方向性が見えるかもしれないと、写真はそういう道具としても使えるのではないかと考えています。
「写真はただ思い出を撮るためのものではなくて、未来が写っているものとして接してください」という言い方もしていて、そういう意味では、もう随分前から未来の時間軸を意識していたなと思いました。
ーーー 面白いですね。そこにも考えることのトレーニングが常にあるんですね。
土屋:そうですね。見ることと考えることのトレーニングをやらないとダメなんだと思います。
ーーー そう考えるようになったことは、ドイツで制作していた影響が大きいですか?それとも、土屋さん自身で気づき、鍛錬を重ねて来られたのでしょうか?
土屋:やっぱり写真の読み方、スキルってあるんですよね。一応、僕もそれをも叩き込まれました。僕自身は、大学時代に、高梨豊さん(写真家、1935年〜)の写真の授業を受けていて、高梨さんからの影響があると思います。彼は写真を言語化する人だったから。そのときに、写真に対して陳腐化しない向き合い方ができるようになった気がします。
70年、80年代頃の日本の現代写真の写真家たちって、写真を読み解くことに、あらゆる角度から挑戦していたように思います。そうして切磋琢磨しているうちに、無意識に未来を見抜く力が備わったんじゃないかと。でも今は怪しい。最近では、Instagramをはじめいろいろあるじゃないですか。それは、未来を読み解くようなもの、写真の先にあるようなものが全く削がれた写真で、既存のそのままの見た目の形式だけを引き抜いた、似たような写真の大量生産のようで。
ーーー 消耗品だということですね。
土屋:写真の消耗品の部分だけが社会に受容されてしまった。未来を見ている、未来がうつっているという部分は、丁寧に鍛えれば発展する可能性があったと思うんです。だけど、現在の写真環境は、カメラがデジタルになった過程で断裂してしまった気がします。
だからこそ、僕は言葉にして「写真は未来が撮れる装置だ」と言わなければと思っているのかもしれません。そうしないと、写真はただ記録して人に見せるというごくシンプルな装置としての認識しかされなくなり、見た目だけの表現になってしまうと思うんです。
■これは写真なのかという問いを立て続ける
ーーー 土屋さんは作品を通して、鑑賞者自身に気づいてもらう、その良い入り口をいろいろと試行錯誤されているのだなと今回の展示からも感じました。
土屋:僕のひとつの解釈を提示するよりも、考えてほしいんです。例えば、Port Bの高山明さん(演出家、1969年〜)も何か明確な解を出そうとはせず、観客に委ねていく感じがとてもいいなと思っています。でも、どこまで委ね、どこからコントロールするかというその塩梅は難しいですね。高山さんは、そのバランスが上手い。僕の場合は、そこまでセンシティブではないのかもしれない。作品と演出の距離感がすごく合ったメディアだと感じるからか、写真が大好きなんですよ。
僕の師匠であるトーマス・ルフは、自分のフォロワーになるなとよく言っていました。彼との大きな違いは、僕はフィールドワークして撮影をしたいということ。でも彼は作品素材をネットから利用したり、写真表現においてフィールドワークの概念も問題提起することで成立させています。そこが決定的に違います。
僕が唯一、トーマス・ルフから真似をしたいほどすごいと思ったのは、「これは写真なのか?」という議論を引き起こしたことです。彼は写真の領域を拡張してきた人なんですよね。だから、写真か否かのギリギリのところを常に考えています。今回の展示では、未来と過去を考えさせるような年表という形式を用いたこと、そのプロセスは議論が起きても良いなというところまでやり切れたとは思っています。
■アーキビストとして、アーティストとして
和田:展示の一ヶ月前くらいに、東京藝術大学のgeidaiRAM2に土屋さんを講師としてお招きして、アーティストの仕事とアーキビストの仕事、またその重なりの部分をレクチャーしてもらいましたね。
土屋:geidaiRAM2での機会は、「TIMELINE」展を準備している自分の頭の整理になりました。そのときに、アーカイブのためのシステムをつくるという行為が、実は作品をつくる行為とすごく似ていて、どのようにシンクロしているのかについて話しました。
ーーー 土屋さんのなかで、アーティストとアーキビストの領域が呼応しているんですね。
土屋:今、あらゆる年表をまとめるデータベースをつくりたいと考えています。何か元号のようなひとつのターム、はじまりと終わりがある帯状のものをデータベースとして束ねて、そこから歴史や同時代を様々な角度から見れるような仕組みができないかと。
さらに夢を言うと、それ自体がWikipediaのような役割になるといいな。社会的にも利用されるシステムや構造と向き合うことで、作品をつくるときにその影響を受けるんじゃないかと感じていて、近年のSNSが普及した環境も含めて、それこそ立ち止まって考えることができるような場をつくらなきゃいけないと、本気で考えています。
和田:あまり語られていないことですが、マルセル・デュシャン(芸術家、1887年〜1968年)がレディ・メイドを発表する少し前の1910年代、デュシャンは絵描きをやめると宣言し、画家たちから距離を取り図書館司書として生計を立てていました。その時期に、自分の作品を箱に入れるといったアーカイブ的な作品を制作していて、僕はその表現が生まれた背景には、図書館司書としての経験が大きく影響していると考えています。
デュシャンが図書館司書としてアーカイブの仕事をしていたことと、表現形式としてレディ・メイドを試行していたこの関係について、土屋さんのアーティストとアーキビストの関係を語られたときに改めて考えてみました。
土屋:確かに、その考え方はわかります。
geidaiRAM2のプレゼン資料をつくっていたとき、もはや自分はアーティストではないんじゃないかって思ったんですよ。それは悪い意味ではなくて。一般的に捉えられているアーティストという枠組みに、自分の興味や活動範囲が収まらなくなってきているなと感じてもいて。
和田:アーカイブの物を秩序立てる枠組みを作品制作に敷衍させるというのは、公文書や資料を扱ったアーカイバル・アートよりも、まだまだ検討の余地があると思っています。アーカイブとアートの結びつきについては、今後もぜひ土屋さんに開拓してもらいたいです。
■「尺度」という前提から考える
ーーー 和田さんとしては、今回の展覧会シリーズ「尺度の詩学」に取り組んでみていかがですか?
和田:今回は「尺度」という根本的な概念に向き合ってみようと思いました。物事や出来事を語るときに、もしくは物事を考えるときに、既に何らかのスケールを選択しているというアサムプション(前提)を3人のアーティスト(土屋紳一、長田雛子、黒田大祐)と議論しながら制作していくことになりました。
先ほどから何度か語られているリサーチという言葉がアートシーンでそこかしこで使われていますが、リサーチの内容やプロセスが語られていて、作品のマテリアルとして無理に利用している何か居心地のわるさも感じていました。リサーチにおける取り組みや、考え方が素朴なことはその誠実さも理解できるのですが、その前提を検証することも必要なのではないかと考えて今回のシリーズの主題に据えてみました。人類学者のマリリン・ストラザーン(社会人類学、1941年〜)による『部分的なつながり』(原著“Partial Connections”、1991年 )で提示していた観察者自身の理論や枠組みを再構成する意味での「スケール」という概念を見直していることを理論的な背景としています。
その意味では土屋さんの回では、年表という尺度そのものを扱えるツールが出てきたことは興味深かったです。作品化の手法として年表を作成するということで、新しい試みへの期待がありました。これまでも民族学や社会学の調査手法を芸術分野で積極的に利用しようとしていますが、あまり時代を経ても変わっていなく、その同じ結果に行き着かないように、土屋さんと取り組んでいきました。
そこで重要になったのが、作品を通じて自己言及性を組み込むにはどうすればいいのかということで、土屋展でも地下鉄やサリン事件をめぐって語るだけではなく、そこにアーティストの立ち位置をどう立てれるかが、尺度という概念が担保しているものがかえって大きかったようにも思えました。アーティストがどういった尺度で世界を見ているのかということですね。
土屋:そういう意味では、僕の年表は意図的に自分志向でつくった、かなり私的なものですね。社会学的な年表としての機能は全くしていないし。
和田:そうですね。そこがけっこう重要で年表はどこかで普遍的な働きがありますが、私的な地下鉄年表というのはいい切り口でした。またどんな年表を見ても、自分が生まれた年をつい見てしまいますよね。見る側は、自分の尺度を入れてその年表を見るということ、そこも今回のように作品を鑑賞するために年表があるというのは、作品ガイドとは違う意味がありやってみて良かったです。
土屋:それこそ基準の話じゃないですが、展示会場で自分の生まれた年に何が起こっていたのかを考えたり、感じるだけでも重要なことだなと思います。
先ほど話したように年表のデータベースをつくるときは、ユーザー登録をする際に、あなたは何年生まれですか?って聞くところからはじめないといけないと思っています。そうすることで、私的な歴史観みたいな体験ができるんじゃないか。そういうことを一度やってみたいですね。
■困難さと新しい軸をつくること
ーーー 最後に、アーティスト、アーキビストとして、平成や地下鉄サリン事件というテーマについて、今後も何か違うかたちで取り組んでいこうと思っていますか?
土屋:2018年9月のあの時期に、展示がやれたという達成感があり、それによって未来の時間軸との距離感を測りやすくなった気がしています。だから、いよいよ平成が終わるとき、新しい元号になるときに、未来の時間軸を考えるための、何かもうひとつ新しい軸のようなものをつくっていきたいですね。淡々と平成が終わって地下鉄サリン事件は忘れられるようなことではなく、今回触れた時間軸と、新しい軸を結びつけ、これから、どうなっていくのかを照らし合わせるような作業に興味があります。
和田:2018年7月にオウム真理教事件で13人の死刑が執行されました。そこから約2ヶ月で土屋さんと一連の問題を議論して、「TIMELINE」展をあのタイミングで開催できたのは今となっては大事なことだと思います。それが単純な抗議運動でもなく、政治的なメッセージを提示したわけでもなく、そこに慎重になりながら語り口を広げながら提示することは簡単ではありません。作品をどのように見れば良いのか、どのように語れるのか、そこは課題もありましたが、会場を訪れた美術関係者がこういったテーマや内容は扱うことが自分のところでは組織や制度として難しい、と話してくれたことは違った意味で考えさせられましたね。
土屋:テーマを「地下鉄サリン事件・死刑執行」だけに掘り下げてやる方法もあったのかもしれないし、その方が議論もいろいろ起きたのかもしれない。だけどやっぱり、その一点に執着してしまうことへの怖さがあるんですよ。僕はもう少し広い視野で考えたいし、そこを大切にしたいと思っているからこそ、探してるんだと思います。いちばんベストな方法を。
写真の余白、補完によって見えてくること
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■プロフィール
土屋紳一|Shinichi Tsuchiya
1972年、横浜市生まれ。アーティスト、アーキビスト。
東京造形大学卒業。国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)卒業。デュッセルドルフ・クンスト・アカデミー卒業。トーマス・ルフからマイスターシューラーを取得。写真メディアを中心に国内外で展示を行っている。水戸芸術館 クリテリオム92(2016)以来の展示であり、国内のギャラリーでは帰国後初の展示となる。
和田信太郎|Shintaro Wada
1984年宮城県生まれ。メディアディレクター。表現行為としてのドキュメンテーションの在り方をめぐって、映像のみならず展覧会企画や書籍制作を手がける。最近の主な仕事として、「磯崎新 12×5=60」ドキュメント撮影(ワタリウム美術館, 2014)、「藤木淳 PrimitiveOrder」企画構成(第8回恵比寿映像祭, 2016)、「ワーグナー・プロジェクト」メディア・ディレクター(神奈川芸術劇場KAAT, 2017)、展覧会シリーズ「残存のインタラクション」企画(Kanzan Gallery, 2017-18)、「尺度の詩学」企画(Kanzan Gallery, 2018-19、。2012年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。現在、東京藝術大学大学院映像研究科助教、株式会社thoasa(コ本や honkbooks・企画・映像制作・書籍出版)ディレクター。
■text by 嘉原妙|Tae Yoshihara
1985年兵庫県生まれ。京都造形芸術大学卒業。大阪市立大学大学院創造都市研究科(都市政策学)修士課程修了。NPO法人BEPPU PROJECTにて、地域をフィールドに様々なアートプロジェクトの運営を経験。主に「国東半島芸術祭」事業(2012-2014)にて美術・パフォーマンスの作品制作・進行管理、地元企業や市民と協働したツアープログラムの開発等を担当。2015年4月よりアーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)プログラムオフィサーとして、東京アートポイント計画事業、人材育成事業「Tokyo Art Research Lab」、東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業「Art Support Tohoku-Tokyo」等を担当。共著に『6年目の風景をきく』(アーツカウンシル東京、2016年)。
インタビュー:嘉原 妙 写真:縣 健司
geidaiRAM2:土屋氏講義《連鎖するArchives (HistoryとStoryへの問い)》
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