『語りの技法』 Vol.2

危口統之(悪魔のしるし)

劇的なるものをネグって

キュレーター 島貫泰介

危口統之は、団体「悪魔のしるし」を主宰する演出家である。団体、という漠然とした呼称をあえて私が書くのは、危口と「悪魔のしるし」の活動形態が、演劇、パフォーマンス、美術、建築など多岐にわたっているからだ。代表作《搬入プロジェクト》は、複雑な形状の構造物を設計・製作し、大人数で空間に搬入ないし搬出するというものだが、建築現場の荷揚げ人夫たちの職業知を用いて実践される運搬行為を「演劇」や「パフォーマンス」と呼ぶことは可能だろうか? 少なくとも、それを劇団四季やシルク・ド・ソレイユが提供する作品と同質に見る人は多くないだろう。この他にもヘヴィ・メタルの歴史を危口自身がレクチャーする《メタル大学》、一年に一度衣類を着たまま小便を漏らす《漏祭》など、多岐にわたる、というか、多岐にわたりすぎてカテゴライズ困難な活動をする団体が「悪魔のしるし」で、その突端で企みを巡らすのが危口であると、まずは思っていただきたい。

 そんな危口にとって、本展は初の個展となる。タイトルは日本現代演劇を代表する演出家である鈴木忠志が、1969年から70年にかけて構成・演出した連作《劇的なるものをめぐって》から採っている。鈴木は同連作を通じて「演劇の現場性=身体性」を問い直すことを試みた。それは主に俳優の演技にフォーカスするものであったが、危口は演劇的現象が生起する「場」に関心を寄せる。舞台があって客席があれば(それがどんなに簡素なものであったとしても)、その関係性から「演劇」は立ち上がりうる。本展では、そのメカニズムを巡る考察を展開する予定だ。

 先に述べたカテゴライズ困難な活動とは、単にナンセンスさや無軌道さから生じたものではなく、演劇ジャンル、そしてかつては社会・政治と密接な関わりを有していた演劇(祝祭、儀礼)について周到に思考した結果の必然なのかもしれない。

 

 

「劇的なるものをネグって」開催によせて

 

本展は、作家による公開制作を行う前半部(7月中旬までを予定)と、パフォーマンスを行う後半部(7月26日から31日まで)に分かれています。公開制作の進捗は、Twitter(ハッシュタグは #劇ネグ)等でご確認いただけます。

 

2016年7月8日。その日が初日の「危口統之(悪魔のしるし) 劇的なるものをネグって」の会場には、おそらく作品と呼べるものは皆無だろう。あるいは壁面には、なんらかの支持体に相当する大きなベニヤ板が打ち付けられているかもしれない。あるいは、ギャラリーの中央には今後の展覧会の行く先を示す、とある構造物が置かれているかもしれない。いずれにせよ本展は、ほぼ空白の状態からスタートする。開催に先立ち、本展の企画者である私は、ステートメントにこのように書いた。

 

危口は演劇的現象が生起する「場」に関心を寄せる。舞台があって客席があれば(それがどんなに簡素なものであったとしても)、その関係性から「演劇」は立ち上がりうる。本展では、そのメカニズムを巡る考察を展開する予定だ。

 

今あなたの目の前にあるかもしれない空白は、その演劇的現象を生起するための土地である。これから危口統之は、会期中の多くの時間を割いて、ここに「演劇」なるもの、「劇的」なるものを召還しようと試みる。そこで呼び出されるのは、現代日本の景観に公共性の幻影を見ようとした建築家たちによる「残念(な)舞台」であったり、はるか古代、儀礼のための空間であったものが劇場(シアター)へと変容していく歴史の概括であったりする。それらが姿をあらわすのと相同し、それらが意味するもの、そして危口が彼の「演劇」において取り扱おうとしている問題系が明らかになるかもしれない。

                                    美術ライター/編集者 島貫泰介

 

2007年の秋頃、つるんでいた友人たちと共に演劇の真似事を始めたときから今の今まで扱う主題は「出来てなさ」であり続けた。それは専門的な訓練を経ぬまま活動を始めた自分自身への言い訳でもあったし、舞台に立ったことのない友人を引っ張り込み何とかして演劇らしきことをさせようとするときの価値基準でもあった。そうこうしているうちに、そもそも出来ているとは何だ、どういうことだと考え始めることになる。いっけんダメなことのように思えるが実はそれこそが演劇の本質ではないかと疑いを持ちはじめる。写実にこだわるほど舞台上での振る舞いは滑稽に見えてくる。むしろまがい物であることを強調するほうが格好いいんじゃないかと思えてくる。埋葬された真らしさの上に建てられた立派な墓碑。その美しさ、そのつつがなさを生みだす高度な技能をついに持てずじまいだった我々は倒錯だと重々承知の上でリアリティという棺の中で腐っていく。西洋から伝わった演劇なるものをこの国がどう演じたかについては様々な論者が語っている。その失敗、片時の成功、そしてさらなる失敗、そうこうしているうちに到来する多様性賛美の時代。みんな違ってみんないい。それら多様な差異の住まう館は完全にバリアフリー化されている。弱者に厳しい段差などあってはならない。こうしてまたひとつ劇的なるものはネグられ、世界は完成に近づく。

 

                                  演出家・悪魔のしるし主宰 危口統之

 

Performance program

1. 危口統之/捩子ぴじん/他:7月26日[火]〜29日[金]18:30 開演

               7月30日[土]17:00開演/終演後トークイベントを予定

               7月31日[日]17:00開演/終演後クロージングパーティー(参加無料)

               チケット:前売/当日 ¥2,000/¥2,500

               予約 >> 悪魔のしるしHPhttp://www.akumanoshirushi.com/neg.htmにて7.10より受付開始

 

2). 百瀬文:7月30日[土]、31日[日]昼頃より随時(予約不要)

危口統之

「悪魔のしるし」主宰・演出家。1975年岡山県倉敷市生まれ。2008年演劇などを企画上演する集まり「悪魔のしるし」を組織。 代表作に《搬入プロジェクト》《わが父、ジャコメッティ》など。2014年度よりセゾン文化財団シニアフェロー。

www.akumanoshirushi.com

捩子ぴじん

ダンサー。2000年から04年まで大駱駝艦に所属し、麿赤兒に師事する。舞踏で培われた身体性を元に、自身の体に微視的なアプローチをしたソロダンスや、体を物質的に扱った振付作品を発表する。2011年、横浜ダンスコレクションEX審査員賞、フェスティバル/トーキョー F/Tアワード受賞。

http://pijinneji.blogspot.jp/

 

百瀬文

映像と身体の関係性を中心に扱う美術作家。主な個展に「サンプルボイス」(横浜美術館 アートギャラリー1, 神奈川, 2014)、主なグループ展に「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」(森美術館, 東京, 2016)、「アーティスト・ファイル2015 隣の部屋――日本と韓国の作家たち」(国立新美術館, 東京)など。

http://ayamomose.com/

 

 

 

 

「語りの技法」

Kanzan Galleryにて2016年4月からスタートした展覧会シリーズ。全4回を予定。文学や演劇に限らず古代からあらゆる芸術ジャンルに根付く「叙述」や「文法」を考える展覧会。

 

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